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CP+2012 SILKYPIXブースイベント情報

トークショー災害ボランティア活動と復興に向けて
災害ボランティア活動と復興に向けて
ゲスト:鉄道写真家・広田 泉 / ビデオグラファー|写真家・しいれい
広田 泉 しいれい
鉄道写真家広田 泉様、写真家のしいれい様をお迎えして災害ボランティア活動と写真活動の関わり合い、被災地のルポタージュなどの講演を行っていただく予定となっています。また、広田 泉様が自費出版している鉄道チャリティー写真集「ここから始まる。」のプレゼンテーションや復興にかける思いなどもお聞かせいただく予定となっております。(SILKYPIXのデモはございません。)
イベントの様子はこちら
CP+2012 SILKYPIXブースでは、「災害ボランティアと写真活動」をテーマに、鉄道写真家 広田 泉様とフォトグラファーしいれい様をお迎えして講演を行いました。その時の様子をダイジェストでご紹介させていただきます。
広田 泉
1969年東京生まれ
●広田尚敬の次男として生まれる。
●スピード感あふれる乗り物に、幼いころから興味をいだき、父の手ほどきをうけて鉄道写真を撮りはじめる。
●2002年よりフリーランスの写真家として活動、独特の感性と色彩感覚で注目されている。また、独自の切り口でカメラやレンズのインプレッションを多く手掛ける。
●2011年復興支援写真集「ここから始まる。」を自費出版。その収益は東北大震災で被災した三陸鉄道とひたちなか海浜鉄道へ寄付される。
鉄道写真.com:http://tetsudoshashin.com/
しいれい
大学卒業後、オーストラリア小学校での日本語教師などを経て、ダイビングの世界にのめりこみ、単身タイへ。タオ島にて水中撮影と出会う。
一般のゲストを撮影し販売するというヨーロピアンスタイルに衝撃を受け、イギリス系水中映像会社でトレーニングを受ける。
帰国後はブライダルビデオなど映像業に従事。
現在スチールへ転向中。
PADI ダイブマスター・潜水士・Specialty Diver-Underwater Videographer・極真空手3級など、ガテン系の資格あり。
arrow福島県 金山町(奥会津)

2011年8月の大雨における土砂災害において只見線とその付近の家屋が被災しました。

広田:金山町は会津若松の近くにあります。ここは普段から写真を撮るためにお世話になっている沿線です。通常ではとても景色が良く穏やかな只見川の流れが見えて居たのですが、そこが土砂災害で大変な事になっていると聞いて恩返しをしたいと思いました。そこでボランティアとして家屋の泥出しに参加しました。

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しいれい:こちらはボランティアを行ったすぐそばの様子です。普段はとてもきれいなエメラルドグリーンをした美しい川なのですがこのような状態でした。これは移動中の車の車窓から撮影しました。

広田:ここでは豪雨による土砂災害でした。通常だと美しい風景ですが河原の土がほとんどえぐられて岩がむき出しになっていました。また、奥の方に橋梁が流されています。これで只見線が寸断されてしまいました。

- 機械でもなかなか動かせないような大きなものでも簡単に流れてしまうのですね。改めて水の力と自然と共存する難しさを感じました。

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- こちらはボランティアセンターの看板ですね。

広田:奥にある小屋がボランティアセンターではないですよ(笑)。もっと立派なものがこの奥に行くとあります。

- ボランティア活動を行う前には現地のボランティアセンターに登録してから作業を行うのですね。

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広田:ここでは被災が局所的だったのでボランティアセンターの機能がしっかりしていました。東日本大震災の津波の場合ではセンターも役場も流されてしまった状態だったのでボランティアセンターがどこにあるかもわからない状態でした。それとグループじゃなきゃダメとか、一週間滞在しなければ登録できないとか色々ありましたが、ここは一日でも半日でも来てほしいとの事だったので行きやすいボランティアだったんじゃないかなと思います。

- 参加者は日本各地から来られていたのですか?

広田:日本だけでなく海外からも来られていましたね。

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- こちらは作業用のスコップですね。このような物は支給されるのでしょうか?

広田:いえいえ、手ぶらで行っていいボランティアなんてなかなか無いんですよ。しかし金山町では軍手や長靴まであったりして、それとタオルや飲み物なども支給されました。とても恵まれたボランティア環境でした。

- どこもそう言う訳ではないのでしょうね?

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広田:ないですね。もう津波の時は地元の方も何も無いような状態だったので持って行った長靴をあげて帰って、また次の機会に物資支援の時に持っていくという感じでした。最初はスコップも全然足りなかったですけど今回これは石巻からスコップを送ってもらいました。それだけではなく色々な所から手押し車や一輪車などが集まりました。

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しいれい:今回はお子さまの参加者も多くいらっしゃいました。

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しいれい:こちらはボランティアのリーダーが『今日はここへ行ってください』と言う形で指示を出している所です。

- 作業内容は当日決められてそれをこなしていくような感じですか?

広田:そうですね。リーダーが本部に状況を伝えながらっていう感じなんですけど、初めて言った場所で初日からリーダーをやってました。その日の作業の進捗を確認しながら次の日の予定を決めたりしていく訳です。


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- こちらは被災した家屋の様子ですね。

広田:川から流れてきた土砂で一階部分が全部持っていかれてしまっていました。床下には泥がいっぱい詰まっている訳ですよ。基礎とか柱はそのまま残っているのでその泥を行いました。ただ水を含んだ畳や土砂は重いんですよ・・・。スコップに一個乗せるともう上がらないですから。それを土のう袋に詰めてリレーしながら外に出していきました。ものすごく体力使う作業だから痩せると思ったんですよ。そうしたら太るんですね(笑)。体重増えましたよこの時は。


- しかもこの時期夏(8月)でしたよね?

広田:そうそう、メチャクチャ暑かったですよ。東北って涼しいイメージあるじゃないですか?ところが暑いんですよ。もうメチャクチャ暑いんです。

しいれい:これは私がお手伝いをしたお宅のお母さんです。一緒にお風呂の泥を出したりドアなどをそうじしました。

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- 作業自体は一軒当たりどの位の時間がかかるものなのでしょうか?

広田:大体午前3時間、午後3時間の作業時間みっちりで一日位ですかね。でも長いお宅では20日間と言う所もありました。

- やっぱり一番足りないのは人手でしたか?

広田:そうですね。ただ、人数が増える事で普段起きない事故も起きたりするんですよ。だから人員を入れれば良いってモノでもなくてどうしても時間が必要な部分ってありますね。


- また、床下の泥出し作業はしゃがんでになりますよね?腰大丈夫でした??

広田:腰バンド巻いてましたがやっぱり来ますよね。

- これも車窓から撮られたものですね。

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広田:土のう袋の大きいやつですね。

- これは掻き出した土砂を集める場所なのでしょうか?

広田:これは護岸用にどこかから買ったものらしいんですよ。うちらが詰めたものをそのままここに積めばよかったかなとか思ったりもしたんですけど。先に買ってきちゃったみたいなんで。

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しいれい:これは河川敷にあるお墓です。ちょうどお盆前だったので、その前にお墓をきれいにしようと言う事で作業しました。

広田:この作業はすぐ終わるかなと思っていたのですが全然終わらないんですよ。土の量が思っていたよりも凄くて。掻き出した土を一輪車でバンバン運んでいくんですけど、洗面器の水を耳かきで出してるような感じですよね。

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広田:こちらは民家の側溝ですね。今までと地形が変わってしまっているので生活排水が流れなくなってしまった所もありました。

- 広田さんって災害ボランティアに行くのってこれが初めてではないですよね?

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広田:そうですね。太平洋側(千葉県旭市)の津波の後処理なんかもお手伝いしましたけど、こういった土砂災害についてはここが初めてでしたね。ただやらなければいけない事はあまり変わらなかったですね。

- それと結構笑顔の写真なんかも多くあります。

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広田:そうですね。本当に結構キツイんですけど・・・。最初はあんまり笑ってはいけないのかな?とか思っていたのですが僕たちが元気じゃないと地元の方々に絶対元気なんか伝えられないと思うんで。ただ、初めて会った人でも同じ作業をしていると夕方には友達以上の関係になってるんですよね。だから誰かが困ってたら『手貸すよ。』みたいな感じで。

広田:太平洋側の津波の時と違ったのは、もともとの自然の水がいっぱいあったんですよ。“オアシス”って呼ばれてる場所なのですがそこに天然の水がどんどん流れてくる訳ですね。

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広田:そうするとそこで、地元の人が野菜や果物を冷やしてくれたりします。頭もすぐに洗えるし手も顔も洗える訳ですね。津波の時には水も無かったですから。ここでは水災害でこのように被災してしまったのですが、でもやっぱり水ってありがたいなと、そういう気持ちになりましたね。

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広田:普段は水道の蛇口をひねれば水なんて出てくるだろうって感じはするのだけど、こういう所へ来ると水に対して考えます。あとはやっぱり・・・原子力云々色々言いたい事はいっぱいあるけれど、どれでも僕たちは電気をいっぱい使っててテレビでも『自然エネルギー』が取り上げられてますが、でもダムだって十分怖いぞっていうのも思い知ったし。そういった意味では電気を使うって事、エネルギーに関しては作業中すっと考えますよね。何に対しても怖いですよやっぱり。

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- 金山町はおじいちゃんやおばあちゃんが多い地域ですよね。

広田:メチャクチャ多いですね。ほとんど若い人はいない感じ。

- そうすると土砂を出せる人がそもそも町に少ないのですね。

広田:だから自分達でもそれを解ってるから、僕たちボランティアをサポートしてくれる流れがすごく強かったですね。お漬物を漬けてくれたりとかね。だから僕たちも、もっともっと頑張ろうと思えるんですね。例えば一日だけでも時間があれば行くかって。

しいれい:これは一日の活動が終わってまったりしているところです。

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- 何時頃に終わるのでしょうか?

広田:4時とかかな~。片づけをして食事してお風呂入ってとかやってるとね。

- 活動自体が長期戦ですからね。あんまり無理をしてしまうと体が持たないのは想像できます。自分が完全にばててしまうとボランティアどころではないですものね。
少し写真についてお聞きいたします。広田さんは活動中、いつ写真を撮られていたのでしょうか?


広田:あんまり撮る気にもなれなくて、でもちょっといい駅があって、ボランティア最終日に良い光に包まれたら撮ろうかなと思ってた位です。当日良い光の状態だったので少し撮影しました。けれど30分位かな?

- 以上が福島県金山町の土砂災害におけるボランティア活動の写真での記録でした。

arrowボランティア参加のきっかけ

- ところでどのようなきっかけでボランティアに参加しようと思ったのでしょうか?

広田:僕の場合は、2011年3月12日からひたちなか海浜鉄道と水郡線の撮影ツアーを行う予定だったんですよ。じゃぁ、撮影地がどんな状態なのか知っておく必要があると思って前日に現地入りしていたんですね。そしたらそこで移動している最中に地震が起きました。震源地に近い所にいたんですね。車に乗ってても物凄く揺れて、屋根から瓦はどんどん落ちてくるし、家なんかはこんにゃくみたいに見えましたよ。窓ガラスはどんどん割れていくし。そんな体験したのも何かの縁なのかも知れないと思って。でも震災後一カ月近くは身動きが取れなかったですよ。『行かなきゃ』とはすぐに思ったんですけど被災地の方から『まだ来ないでくれ』って言われるんですよ。ボランティアを受け入れられるような状況ではなかったんですね。『今来られてもこっち(被災地)が困っちゃうから』って。こちらはこちらでいつでも行けるように準備はしてるのですが、なかなかそう言う訳にも行かず、ようやく一か月後に行ける事になりました。もうハイエースの中に支援物資満載で色々な物を持っていきましたね。でも実際行ってみると聞いている情報と、被災地の状況が全然違ったのでちょっと作業したら出直して、その時に足りない物資を積んで作業しての行ったり来たりでしたね。

arrow写真集「ここから始まる。」
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支援活動を続けながらそんな中で撮影され発表された広田 泉さん初の写真集「ここから始まる。」についてお聞きしたいと思います。

広田:本当は気仙沼周辺の写真で、もっと平和なほのぼのとした写真集を考えていたんですね。ところが震災が起きてしまったのでやるしかないかなぁと。周囲から『写真撮れよ』とは言われていたのですが僕の中ではそれどころじゃくて被災地の写真を撮る気はなかったんですけど。ある日、今なら撮れるなと。とりあえず自分の所で写真集を作れば(自費出版)寄付に回せる分も増えるし結構なボリュームになるわと。『よしやろう』みたいな感じで瞬間的に思いついて作り始めましたね。

- ここで広田さんがBLOGで公開している日記からその時の様子を見ていきたいと思います。

宮古も高田も気仙沼も。東北の太平洋側は大好きな場所なのに。
だけどTVから流れる映像は一瞬ですべてを飲み込んでしまった。

そんな姿を見たくはないし信じたくない。
だけど目をそらさず現実を受け入れなければならないと思っています。

こんな思いをするならば、いっそ関わりは薄く。
さらりとしたほうがいいのかもしれない。


そんなことも考えてしまったこともあるけれど。
それでも旅を続けて色々な場所で色々な方々と出会い触れ合う。
それしかできないんです。

2011.03.12(Sat) 広田泉

- 鉄道写真家さんって多分日本全国ロケをしながら周って人との出会いの繰り返しをされてきたと思うのですが、広田さんの人と人との繋がりというのを強く感じました。

- そして最初に地元の千葉でも津波の被害があった旭市に支援に行かれましたね。

色々と悲しいことや怒りたいこともあるけれど
動くことをやめちゃいけない。
今できることってなんだろう。
探せば色々とあるもんだ。
地元の役場のHPとか見てみると
できることはたくさんあるから。
こういう時じゃないと見ないけど。
もし茂原市住んでる仲間がいたら旭市に行こう。
災害ボランティアの募集が始まった。
東北ばかりでなく旭市も、まだまだ大変な地域であることに変わりはないから。

2011.03.18(Fri) 広田泉

広田:そうですね。まずは地元で泥出しを行ったのですが、ここもヘビーでしたね。銚子の近くにある街で、その頃にはもう燃料があまり無かったんですけど市役所がバスを出してくれたので、『じゃぁ行こうか』と言う感じで知り合いも誘って行ったんですけどね。

- そして、その後新宿でこんな活動もしましたね。

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- 写真家さんだけではなく、芸能人や各著名人による募金活動です。

先日、募金活動を呼びかけたところ集まってくれた鉄道ファンの方々。
あまりに素敵すぎてカメラを向けました。
レンズ型マグカップは、たちまちお札だらけに。
今まで募金でお札がこれほど集まったことってあっただろうか。
さらに、この表情の素敵なこと。
はんぱないでしょ。
どんなイケメンより
どんなアイドルより
自分には輝いて見えます。

2011.04.01(Fri) 広田泉

- 写真を通じて知り合ったたくさんの方々に来ていただきました。やはりここでも人と人の繋がりを強く感じましたね。

- そして実際の支援活動の直前の記録です。

今、この状況で何ができるだろう。
そればかり考えていました。
できることは何でもしたい。
でも、その思いはこちらの勝手な考えで
その場で必死に生活している人たちの迷惑になることも考えられます。
冷静に現地の情報を自分なりに仕入れる日々が続きました。
その結果「このギャップは何なんだ」と感じずにはいられません。
避難所と、それ以外の場所のギャップ。
地域によるギャップ。
その他たくさんのギャップが山のように。
中でも現地の方と行く側のギャップはとても大きいものだと感じました。

2011.04.12(Tue) 広田泉

- ボランティアを受け入れる側と、行く側のギャップについて。これには非常に悩んでいたように感じます。

広田:そうですね。それはどこに行っても感じる事が多いんですけど、もちろんさっき見ていただいた金山町のように良い意味でのギャップもあるんですけど。う~ん・・・ほかの地域では受け入れる側と行く側の温度差っていうのもあるし、想像していたものと違う部分もあるし。

- 基本的に広田さんは報道系のカメラマンでは無いですよね?

広田:そうですね、はい。

- 多分そこで写真を撮る事に対する悩みとか葛藤っていうのはあったと思うのですが?

広田:そうですね。覚悟して行ってるんですけどね。実際色んなことがありますから、何回泣いたか分からないですよ。

- そんな中、被災地と連絡を取りながら『もう来てもいいよ』と言う声が聞こえてきたのですね。

そんな中「そろそろ大丈夫」という声が聞こえてきたのは昨日あたりからです。
ここにきて明確な目的もできてきました。
でも、だからと言って全てがオープンになっているわけでは決してありません。
歪んだ線路や被災した駅、
車輌を撮るだけのために出かけるなんてことがどういうことなのか
冷静に考えたら分かりますよね。
これだけは本当によく考えて行動しなければなりません。

22011.04.12(Tue) 広田泉

広田:現場で活動していた方からリアルタイムで被災地の状況や現場までの安全なルートとかを聞くことができたのでその点では恵まれていたと思います。

- やはりボランティアでは自分の安全にも気を遣いますか?自分が怪我をする事で逆に迷惑をかけてしまう事もあるでしょうし。

広田:普段の何倍も気を遣いますよね。木造の家って多いと思うのですが普通に暮らしてると木で作られてる事はあまり意識しないじゃないですか。でも基本骨格って木なんですよね。要するに柱って木でできててそれが、がれきとして流れてくるとそこには釘が刺さっているんです。それを踏んで足を怪我したりとか車のタイヤがパンクしたりとか。足場の悪い所で転んだりした時にそこに釘が出てると大けがになりますから。実際そのような事故も現場では見ましたしね。

- そして被災地へと入る訳なのですが

支援物資として食料や水、その他色々と積んだら助手席まで満載。
重たい装備と気持ちで東北へと向かいました。
ジャンプ台のような道路を慎重に走っていると夜が明けていきます。
その空の美しさといったら今まで見たこともないぐらいのブルー。
この向こう側には本当に津波が来たのだろうか。
なんて気持ちになってしまいます。
でも現実はテレビで見るより凄まじいものでした。

2011.05.21(Sat) 広田泉
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- これはどこに行った時の記録でしょうか?

広田:この時は宮古ですね。そこで見た光景を何かに例えようとするんですけど、例えられるものが無いですね。リアルタイムでは知らないのですが、戦争の跡の焼野原とか。でも戦争と違うのは相手が居ないので恨むこともできない事です。その時にはきれいな空ときれいな海が目の前にある訳ですから。その辺の気持ちは複雑ですよね。やりきれないです。

広田:多くのものが流されてしまった中でも線路は意外と残っている場所もあるんですよ。そこから過去の記憶を照らし合わせていくと『こんな所だったよな』っていう昔の写真の中のイメージがどんどん出てくるんですよ。

- ここで綴られているのが「美しさ」と言う事ですね。

広田:う~ん・・・きれいなの。すごいきれいなの。新緑がまた凄い色なんですよね。鮮やかなグリーンがずっと続くんですよ。『なんだよこのきれいさ』。それを抜けるとまたがれきの茶色が広がって、その繰り返しですよね。そこにもギャップがありますよね。

手が足りていないのが分かるから自分にできる最大限のことをしました。
まだ電気も通っていないから16時には皆さん避難所に戻ってしまいます。
周囲には、ありとあらゆるものが溢れており
とても普段では考えられない駅の姿に、ただただ呆然とするばかり。
人の気配が消えた街だから今ならば撮れるかもしれない。
街なのに物音ひとつしない。
不思議な静寂の中でシャッターの音だけが響きました。

2011.05.21(Sat) 広田泉

- こちらは2011年5月21日ですが、ここで初めて写真を撮られていますね。

広田:カメラは持ってたんですけど、それまでは物資の下の方に埋もれていましたしね。

- この時に写真集を出す予定はあったのでしょうか?

広田:全く無かったですね。

それ以来
早朝と日没前は写真を撮り昼間は活動する毎日。
週に何日かは帰って仕事をしたりイベントに出たりしていましたが
1ヶ月かけて記録を続けました。

2011.05.21(Sat) 広田泉

- この日以降ボランティアの合間を見ながら撮影を続けた訳ですね。

広田:そうですね。雨で作業ができない日とか、朝と晩ですね。晩と言っても皆さん避難所で電気が使えるのも限られてるので3時位には街の中には誰も居なくなっちゃうんですよ。その中だと撮影してても誰かにいやな思いをさせる事もないかなと。そんな中でしか撮らなかったですけどね。

arrow写真集「ここから始まる。」より作品の紹介

- ここからはこのようにして撮影された広田 泉さんの写真集「ここから始まる。」からいくつか作品のご紹介をしたいと思います。

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広田:3月11日13:00位ですかね。もう地震まで一時間切っているんですけど、まだ発売前のレンズがあったのでその作例用に、ひたちなか海浜鉄道を撮影していました。

- ひたちなか海浜鉄道も実際レールが歪んでしまったりとか被災した鉄道ですよね。震災当日はここでロケをしていたんですね。

広田:そうですね。

- 次はこちらの写真です。

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広田:写真集『ここから始まる。』の表紙になっている写真と同じ場所の別カットですね。

- 真ん中にあるのはSLの保存車輌ですね。

広田:そうです。もっと本当は左の方にあったんですけど、それがここまで流されてきました。

- 先程(金山町)の橋もそうですけどSLも、とても大きくて重たいものですよね。


広田:もう鉄の塊ですからね。あんなものを動かすのは大変だなとか思いますけど、でも動いちゃうんですね。煙が見えますね。最初はがれきを燃やしたりして処分しようとしていたらしいのですが、あまりにも莫大な量なんで燃やすことはやめたらしいんですけど。だから今この付近は山になっています。

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広田:写真集を作るうえで明るい要素を入れたかったんですけど、明るい要素なんてこれでもかって位何も無いんですよ。そういう意味では人の笑顔だったり、そういう所だけを取り上げていっても良かったのかも知れないけどそれでは現実に目を背けすぎかなぁって言うのも自分の中にあったりして。どういう現状か知ってもらう事、もちろん悲惨な所をそのまま伝えたい気持ちもあるんですけど。だんだん不思議な事に被災地に居ると、ありえない非現実的な光景に慣れてきてしまうんですよ。麻痺してきちゃうんですよ。その中できれいなシーンを探し始めるんですよ。家に帰ってきてからその写真を見ると、現地では美しいと思って撮影した写真にはがれきがバァーっと写っている訳ですよ。感覚がおかしくなってますよね。最終的にそのままの状態だといけないと思うんで最後はこのようにメッセージボードを書いてもらって載せました。

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- こちらは駅の写真でしょうか?

広田:陸中山田という駅なんですけど、がれきがかなりどけられてて、駅前ロータリーなんですけど真ん中に木があって真っ黒焦げになってるんですよ。これは火事になっちゃったので。でもこの木、2か月後位して行ってみたら外側の焦げた部分が雨で洗われて木の肌が見えたんですよ。もしかしたらこの木は生きてるんじゃないの?と思って。この木が芽吹くのを僕は楽しみにしてるんですけど、今年は芽吹いて無かったですね。でも僕はこの木を切らないで欲しいなと思いますね。

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広田:でねぇ。色んな所に日の丸があるんですよ。それまで僕は愛国心とか全く無かったんですけど、被災地で日の丸を見るとねぇ、泣けてくるんですね。日本って事そんなに意識してなかったけどやっぱり好きなんだなぁと思って。地続きの所が被災してるのを見てなんとかしなきゃなぁっていうのと、幾つか日の丸を見ているうちに今は復旧作業しているけどそれが終わった後、その次にやるべきことを考えなきゃなぁって思って。そこから写真集の写真を積極的に撮ろうかなと思い始めたのかも知れませんね。

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広田:三陸鉄道は今回の震災で一番被害の大きかった第三セクターなんですけど、そこの駅員さんです。どういう気分でいるのかって事はなかなか聞きづらいんですけど、書いてもらったら凄い力強かったし、いい顔してたので、なんとかしなきゃなって思ってますね。でもこの間三陸鉄道さんから連絡があって、国から予算が下りて復旧のめどが立ちそうという事でその様子も撮りに行きたいと思っています。

- このようにしてできあがった広田 泉さんの写真集「ここから始まる。」の利益は三陸鉄道とひたちなか海浜鉄道に寄付されますのでぜひご覧ください。また、この写真集を見ていただく事で当時の様子などを思い出すことができますね。

広田:そうですね。今何ができるかっていうのは常に変わってくるんですけど、それを考える機会になっていただけたらと思います。

- それと先程『次の写真集』っていうお話がありましたけどこれはテーマとして続けていくのでしょうか?

広田:一回関わったのでちゃんと落とし前は付なきゃなと。はじめは三陸鉄道とひたちなか海浜鉄道に寄付っていう形で始めたんですけど、その後のニーズも変わってますんで次の時には皆が乗りに行ってくれるような企画を考えたいなと思っています。

- 写真家さんや写真愛好家さんが素晴らしい写真をたくさん発表すればそれを見て行ってみたくなる人も増えると思いますよ。今後ともそのような「写真の力」を使って違う形で被災地支援を行っていただければと思います。

- あとロケに行かれる方も多いと思うんですけど、530(ゴミゼロ)Clubっていうのでも広田さんは活動してますよね。これもボランティアの一種ですね。撮影地で見つけたごみを拾う事で撮影自体が美化に繋がりますね。

広田:そうですね。今は被災地支援が中心になっていますけどまたやりたいですね。撮影地ガイドに乗せたとたんにその場所がゴミだらけになってしまったと言う事があって責任を感じて始めた事なんですけど、みんながコンビニ袋一つ持って撮影時にごみを拾ってくれればそれだけできれいになっちうんでね。そういう事を定着させたいなと。

平成24年3月7日 公開
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写真集「ここから始まる。」 ●タイトル 「ここから始まる。」
●著 者  広田泉
●ISBN-13 978-4905406006
●発 売  2011年6月
●価 格  2,415円(税込)
●A4変形 縦210mm横270mm(ソフトカバー)カラー56ページ
●制作・発売  有限会社ホームキュービック
送料:日本国内無料(クロネコヤマトのメール便でお届けします)
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